[PR]テレビ番組表
今夜の番組チェック



 ラオスにおける教育事情および民際交流センターの関わりに関する最新ニュースです。報告は1999年9月のラオス研修に参加した神奈川県ドナー、中溝弘氏です。「ダルネット通信」にて配布されてきた原文をそのまま掲載いたします。ラオス奨学金は毎年月7月21日が年度の締め切りとなっております。どうかご支援お願いいたします。

ダルネット通信

− 第10回配信 -

(2000. 7. 11.)

 

 今回は、日本民際交流センターのラオス事務局長を務めるポンサバン・ピラバン
(愛称ティック)さんの、ラオスの現地事情報告をご紹介します。
 この報告は以前『世界週報』に掲載されたことがありますが、
以下は掲載される前の“原文”です。


 

日本発NGOによるラオスの教育支援の報告
 
日本民際交流センター ラオス事務局長
 ポンサバン・ピラバン

(写真撮影:中溝弘氏)

 ラオス南部山岳部に位置するセーコーン県。人口の91%は少数民族というラオス全17県のうちでも少数民族が多く暮らす地域です。ここの子供たちの朝は早く、まだ日も明けきらない4時に起き、大きな臼と杵をい家族が食べる1日分の米の脱穀をします。子供たちは労働のあと学校に行きます。中には朝食を取らずに学校に行く子もたくさんいます。

 学校までの道のりは長く、というのもセーコーン県には278の村がありますが、小学校が村内にあるのは115カ村のみです。その115の小学校も最終学年の5年生まで教育が提供できるのは22校にすぎません。その他の93校の多くは2、3年生までの教育しか提供できていないのが現状です。村の小学校は村人が森で竹などの建材を切り出し、共同作業で作り上げます。雨が降れば、雨漏りがして、激しいスコールでは校舎崩壊の危機を迎えます。そうした簡易校舎が115校のうちの86%を占めているのです。

 遠隔地の小学校では1人の先生がすべての学年の教育にあたるのが普通です。たいてい中学校・高校レベルの教育を受けた人が教師になります。学歴が低いため政府からの給料は初任給で日本円にして約1600円。多くの先生はその収入だけでは生活できず、放課後、米作りの農作業に精を出すことになります。授業準備の時間はほとんどないので、多くの先生は教科書を読み上げ、それを生徒に書き写させるというスタイルの講義をしています。そのため多くの生徒が学習意欲を育めないでいるのが現状です。それでも学校に通える限り子供たちは学校にやってきます。子供たちは竹で作られた机に鈴なりになって学びます。お昼になると帰れる子供は家で昼食を取ります。

 放課後はほとんどの子供が家の手伝いをします。幼い弟妹を背負い、森に蝗(いなご)や木の実を取りに行き、その収穫は母親が町や道端で売って家計の足しにするのです。セーコーンの豊かな自然は子供たちを温かく迎えてくれます。子供たちにとって1日で1番楽しい時間です。

 子供たちは将来先生になりたい、警察官になりたいと夢を語ります。しかし小学校2、3年生を修了した時点で多くの子供たちがその夢をあきらめざるをえません。通える範囲に学校がなくなり、親も学校へ行くことよりも本格的に農業や弟妹の世話などの労働に従事してくれることを望むからです。セーコーン県で5年生まで勉強を続けられるのは全体の10-20%に留まります。

 そのような状況下で、日本のNGOである民際交流センターは1997年、ヴィエンチャンから遠く離れたラオス南部のセーコーン県とカムアン県において教育支援を開始しました。当センターでは総合的かつ長期的な教育環境の整備を目指しています。主な事業は、1)「ダルニー奨学金」の提供、2)学校建設、3)教師トレーニングがあげられます;

1) ダルニー奨学金の対象はラオスでは小学校3年生から5年生までです。奨学資金1万円のうち1500タイ・バーツ分が奨学生個人の学校就学に必要な物品で支給され、そのうち4%が特別補講授業(後段にて詳述)の支援費となります。学生の選考は就学の意思のある子供と両親が家庭の経済状況(収入、所有土地面積、所有家畜数、借金の状況)を申請書に記し、その申請に基づき、村人、村の学校の先生等、立会いの元で誰が最も経済的に苦しく、奨学金を受ける必要があるか話し合われます。選考結果はラオス事務局員によるサンプル調査が行われ、選考が正しく行われたかの査察がなされます。選考が適正になされていない村の学校には次年度の奨学金口数を減らすなどのペナルティを課すことになります。村人は選考に立ち会うことにより、教育が1人の子供の人生に与える影響の大きさを目の当たりにします。村人立会いの元で行われる奨学生選考過程は村人を教育推進事業に巻き込んでいく過程でもあるのです。

2) 学校建設は奨学金提供校を対象に現在7校目に着工しようとしています。資金は個人や町ぐるみで募金運動を展開した群馬県板倉町学校を作る会(会長針ヶ谷町長)や東京晴海ライオンズクラブなどの寄付でまかなわれています。新宿NSビル等の設計で知られる建築家加藤隆久氏のボランティア参加により、ラオスの気候、建築資材の条件に適合した校舎が建設されています。風向き、水はけにも配慮し、自然採光、自然換気を可能にすることで、電気のない暑熱の環境に対応しているのです。建材は現地のラテライトソイル(赤土)に少量のセメントを流し込んで圧縮したインターロッキングブロックを採用しています。見た目はレンガ色ですが、レンガのように焼く工程がないので燃料確保のために森林伐採を引き起こさずにすみます。簡単な工程なので子供の両親も学校作りに参加できます。これからのラオスの校舎作りのモデルとなるべき工法を編み出しながらの学校作りです。

3) 日本からの奨学金に円高差益が生じた場合、奨学金支援校の教員の教授力向上を目指した研修会の費用となります。首都ヴィエンチャンの初等学校教員養成学校から講師を招き、周辺村の教師たちがあつまり、学校のマネージメント法から生徒の知的好奇心を呼び起こすような授業の方法までさまざまな講習が行われます。

 少数民族地域での公教育の推進は民族の固有性を圧殺し、ラオス政府が望むラオ化を進めるのではないかという懸念をもつ方もいらっしゃるかもしれません。そこで当センターでは先述の特別補修授業の開催を支援校に奨励しています。少数民族の居住地域では、放課後村人を学校に招き、民族文化について学ぶ機会を提供しています。特に民族固有の工芸品作りは今年度から観光開発を本格化させたラオス政府のもとで、将来的には収入源の創出に結びつくことも期待されています。

 ラオスの人々とともに学校を建て、選考に協力してもらいつつ奨学金を提供し、教師と教育への情熱を共有し、村人に教育の重要性について考える機会を提供し、はじめて教育支援は形を持つと当センターは考えています。これから支援対象と地域を拡大することが求められています。1人でも多くの日本の方にこの近くて遠いアジアの隣人ラオス、この豊かなる自然と文化を持つ国について知っていただき、1人でも多くのラオスの子供に自らの人生を切り開くための教育の機会を提供していただきたいと念じております。そしてともに手を携えてあるべき発展の姿を探っていこうではありませんか。


 添付の写真は1999年9月のラオス・カムアン県ナーカム村への民際研修旅行の際に中溝氏が撮影したものです。)



 新校舎一つ目の訪問校、ナーカム校。1975年村民により設立、1997年日本人寄付により再設立。教員数5人(男4人、女1人)、生徒数127人(男67人、女60人)、奨学生数50人(1998年度)




 新校舎内:上記ナーカム校の教室




 従来の校舎:二つ目の訪問校、ラオ・ヌグア村、ラオ・ヌグア校。村民により、1965年設立。教員数6人(男6人、女0人)、生徒数274人(男142人、女132人)、奨学生数20人(1998年度)




 従来の教室:上記ラオ・ヌグア校の教室



 ホームに戻る