別  

(Part III)

(主にヤソートン県の事例から)


 子ども達と言語事情



 はじめに・・・

 何度か研修に参加し、訪れるイサーンの村、あるいは学校、寺院での子ども達の話す言語が種々の場面で使い分けされていることに気付かされる。タイ語(中央タイ語)、イサーン語、バリー語、そして英語などを場面々々に応じて彼らの口から聞くことになる。さて、そんな彼らの言語使い分け事情に興味をもって暇に任せてあちこち資料を漁ってみた。



「タイ語」「イサーン語」歴史的、政治的事情

 我々が訪れ、学校などで耳にする先生達の歓迎の言葉、生徒による挨拶などタイ語に通じている方々ならばそれらが「タイ語(中央タイ語)」であることが理解できる(私は相変わらずほんの僅かしか判別できないのだが)。村人たちによる歓迎の公式挨拶なども何度か聞いたが、少なくともイサーン土着のラオ民族*の言葉「イサーン語」ではない。

(*:ヤソートン県の人々は約200年程前にラオス、ビエンチャン方面より移住したとされる。同じイサーンでも、シーサケット県、スリン県、ブリーラム県はラオ文化圏というより、現在のカンボジアに起源を発する「クメール(カメーン)文化圏」であり、地方言語としてはイサーン語よりも「クメール語(パーサー・カメーン)」が主流とのこと。象使いで有名なスリン県を中心にした少数民族では「スエイ語」なども使われているという。かつてのタイは多言語国家であったことが伺える:神奈川県ドナー、中溝氏より)

 そこにはタイという国の独自の歴史的な事情が働いている。19世紀末には北の少数山岳民族、東北のラオ人、クメール人居住域もタイ国の直接統治に入り、対外勢力*を意識した国家統一強化の為に「言語の統一化、標準化」が必須であった。また、近年では、1960年代に活発化した共産主義運動、南部タイ(イスラム教徒が多い)の独立気運などへの教育的対処として、これら辺境の村々へも中央タイ語を中心とした教育、いわゆる「統一言語による国民化**」が更に強力に政策として押し進められたらしい。すなわちイサーンの複雑な言語事情の背後には、これら種々の国家的、政治的理由が見え隠れしている。

(*;特にインドシナ半島全域を植民地にともくろんでいたフランス)

(**;中央タイ語教育、仏教道徳の浸透、国民アイデンティティーの確立)

 現在のイサーンは未だこの歴史の延長線上にあり、小学校において基礎技能教育(国語・算数)時間が1-2年生で50%、3-4年生で35%、5-6年で25%と高くなっている。中学校での国語(中央タイ語)も毎日最低1時間は必ず授業に組み込まれており、文部教育省の「国語教育」への力の注ぎ方が日本の教育とは少し異なる。学校における授業などの言葉は「中央タイ語(パーサー・タイ)」が教師によって奨められており、イサーン語や他の地方言語は「教室からは」事実上閉め出されていると言って良い。


その他の言語

 言語に関する最近の目立った教育変化では、1992年に特別経験科目の1つとして「英語」が小学校から組み入れられたことが挙げられる。そんな訳で中学生であれば簡単な英語の理解は得られるように思える。Go, Come, Walk などの基本的な動詞や、Good, Bad, Fine などの形容詞などは英会話においても子ども達は理解してくれる(と思う?)。昨年のウドンターニー県での研修では、村の女の子達(保育カレッジの学生;写真参照)が、奨学生を交えて私と家内に英語で果敢に話しかけて来るなど、彼女たちの英語志向熱の高さには実際驚ろかされた。

 また、仏教教育に根ざした道徳の授業では「バリー語*」による詠唱なども行われ、仏教用語などもバリー語で解説されるという。しかし、これは使用言語というよりは儀式における暗記詠唱を中心としたものであり、日常的には寺院での法事、学校朝礼の経文詠唱などに用いられるのみの非日常的な儀式用言語といえる(下の写真は併設中学校の朝礼の様子:神奈川県ドナー、中溝氏提供)。

(*;仏教教典に用いられる古代インドの言語)




子ども達の日常の使用言語

 さて、日常における子ども達の言語といえば、「イサーン語(パーサー・イサーン)」が専らということになり、村内での親や周囲の村人、友達との日常会話はイサーン語が話され、研修に同行する通訳泣かせでもあるらしい(もっとも、名通訳、江田優子さんあたりは屁のカッパらしい)。学校でも、教室以外の場(休み時間、昼食時、体操授業、登下校時間など)、ではイサーン語での子ども達の会話がごく普通とのことで、このような時には教師同士*でさえもイサーン語にて会話している。

(*;教師達もイサーン出身者がほとんどで、イサーン語、中央タイ語をそのつど場面、相手に応じて使い分けている感がある

 このように4つの言語環境に囲まれたヤソートン県の子ども達は、それぞれの言葉の使い分けには精通している。ラジオやテレビからの情報はタイ語にて得られ、また、出稼ぎ両親を大都会(バンコクなど)訪ねたり、大都会から戻る村の出稼ぎ者や訪問者が多い休みの時期には、子ども達にとってタイ語の格好の実践の場となる。また、最新の種々の物質・メディア文化へのアクセスや、より有利な職業選択の為にも中央タイ語が必須であることを子ども達は肌で理解している。


 子ども達の日常における2つの言語(タイ語、イサーン語)の使い分けは、しかし、言語の差別化という面を作り出してはいないだろうか?日本における方言(地方言語)に対する「誇り」のようなものはイサーン社会、少なくとも子ども達の学校生活の場からは駆逐されつつあるようにも思われる。この辺は、日本とタイという国で種々事情が異なる為、事の「善し悪し」の面から論じる事には無理があり、個人的なコメントは控えたい。

 いずれにしても、実際、子ども達にタイ語とイサーン語の差を尋ねると、定型的に「タイ語」は「中央の言葉、国の言葉」であり「美しい丁寧な言葉」、「イサーン語」は「地方の方言」であり「粗野な恥ずかしい言葉」との解答が返ってくるという。これは、ある意味では教師達による国語教育の成果とも捉えられ、教師がそのように答えるよう仕向けているようにも感じられる。いわば国策としての中央タイ語教育の成果を単刀直入に指し示す事例と思えなくもない(写真はチャイヤプーム県の小中併設校の小学校の教室、1999年)。

 これと対局に位置するのが村内でのイサーン語日常であり、それらは村での伝統行事・芸能(モーラムルークトウンなどの歌謡)、仏教儀式、冠婚葬祭などを通して絶えず「イサーン語文化の血脈」を子ども達の生活に送り続けている。

 しかし、教師達も格別それらに抗すわけでもなく、学校や村において、これら伝統行事をサポートする場合も多い。国策としての是認か、イサーン出身である教師達のイサーン文化への理解、あるいは現実的対応かは不明だが、実際には2つの言語が子ども達、そして教師達、村人によっても整然と日常において使い分けられ、抵抗無く共存している現実がある。



 余話: 昨年(2001年)の新潟イサーン研修においてムクダーハーン県(ラオ民族)の村に滞在したおり、「タイ語」、「イサーン語」、「英語」の対訳をワープロで打った文書(即席辞書?)が学校によって各家庭にくまなく配布されていた。これこそまさに現況と国策との「現実的妥協」を示す好例!我が意を得たり!と思ったのは何にでも難しく屁理屈を付ける私の悪い癖だったのだろうか?(平成14年1月29日)

 次回の特集は何にしようか思案中です。