
(主にヤソートン*県の事例から)
「謝辞」:なお、民際事務局、日本全国、イサーン在住の奨学金ドナーの方々からも内容、体裁などにつき数多くご教示頂きました。また、写真などを提供頂いたドナーの方々にもこの場を借りて感謝申し上げます(平成14年1月10日)。
(* 県名のカタカナ表記に関しては、「ヤソトーン」と「ヤソートン」の両方の意見があります。ここでは、後者を取りあえず使用いたします)
タイ王国の東北部は「イサーン」と呼ばれ、人口、面積ともにタイ全土の35%を占める。イサーン・・・荒れた土壌(ラテライトと地中塩類土)と貧困のイメージがこの呼び名には常につきまとっているという。大都市においてイサーン出身者は、排気ガスが充満する交通地獄のなかをドライバーとして三輪タクシー(トウクトウク)やタクシーを走らせ、立ち並ぶ高層ビルの谷間の工事現場で働き、家政婦、掃除婦、歓楽街に職を得る人々となり、スラムに住むイサーンの人々も多い。実際、バンコク市人口の約1/3をイサーンの人々が占める。
新潟県ドナーの奨学生が比較的多いヤソートン県*は、県全体に水田が広がるが、その80%には灌漑設備が無い。また降水に依存した稲作のため、各年の降水量により収穫量が大きく左右される。少なければ渇水、多ければ洪水**となってしまう。そのため、生活が不安定なので農業を放棄し他県へ流出したり、都会部へ出稼ぎに行く人々が後を絶たない。
(*;ヤソートン県は、 1972年にウボンラーチャターニー県より分離してできた県。地図上の「↑」の位置にあり、ラオ系の人々によって開かれた。イサーンでも開発の最も遅れた地域の1つとなっている)
(**;昨年のローイエット県での洪水の様子。ヤソートン県の隣県です。湖ではなく、冠水前は田圃でした。YKさん提供写真)
ヤソートン県は1990年代に入り、市街地から各村に入る道路が舗装整備され、交通の便は格段に向上した。しかし、舗装道路が整備される以前は、雨期には洪水で道が寸断されるため、郡内各学校へ通勤する教員は迂回路をオートバイや車で通り、自宅から学校まで二時間以上かかることも珍しくなかったという。
交通路の整備に代表されるように村落の生活は、民際が支援を開始したここ15年で大きく変化している。以下では今も残るタイ東北農村の伝統的な生活様式や価値観を引用しながら、今日のさまざまな急激な社会変化が子どもの生活や意識にどのような影響を与えているかを紹介してゆきたい。
子ども達と労働
ラオ、および少数のクメール系の人々で形成されるイサーンの村々には非常に古い農業慣習が残っており、農繁期*には集落から二、三キロ離れた(約四割は借地でいわゆる小作農)の田圃側に簡易な小屋「田作り小屋(ディエン・ナー)」を建て、村民はそこで寝泊まりして農作業を行う。小屋の作りは粗末で、水道や電気はない。雨水を貯め懐中電灯や石油ランプで灯りを取り、最低限の寝食のための道具が備えられている。家畜などを連れて行くこともある。
(*;その年の雨期の到来にも左右されるが、6月中旬から7月中旬は「しろかき」「田植え」、11月中旬から12月中旬までが「稲刈り」となり、両時期が農作業の最も忙しい時期となる)
イサーンの子ども達は小さい頃から農作業や家事の手伝いを分担しており、農繁期には子どもたちも田作り小屋で寝起きし、農作業を手伝い、小屋から直接学校へ通学することも希ではないらしい。農作業には水牛や耕作機*が使われ、男女とも十歳くらいで水牛を使って田耕しができるようになる。手押し耕運機を所有する家庭では、男子なら小学六年生くらいになると耕運機を操作することもできる。また、年間を通して炊事の手伝い、水牛の世話**や豚や鶏への給餌、水汲み、精米***、子守などは子どもに与えられた日常的な労働となっているとのこと。
(*;現地では「鉄の水牛」と呼ばれる)
(**;水牛の世話の写真、ついでに少し遊んでます。ちょっとした所にも遊びを見つける才能はどこの子どもでも同じ)
(***;イサ−ンでの精米作業。自宅で食べる分をその都度精米します。シーソー形式の足踏み精米です。YKさん提供写真)
子ども達は村内の住居でも、田作り小屋でも食事作りを手伝う。主食の「餅米(カオニャオ)*」を蒸したり、食器を洗ったりする手伝いは男女の区別なく小学校に入った頃から行う。魚、貝、カエル、カニ、昆虫などの採取は子どもの遊びであり、また大事な食材集めでもある。両親は農作業に忙しく早朝から田んぼに出ることが多いため、子どもは朝起きると水浴び(アープナーム)をして、その後自分で卵を炒めたり、前の晩のおかずを温めたりして朝食をとる。日本の慣習とは異なり、家族そろって食事をする機会は希である。プロパンガスが一部の世帯には導入されているが、まだ普及していないため、炭火や薪を使った調理は小学生なら誰でもできる(当HP表紙の写真参照)。
(*;土壌は砂状塩類質で栄養分が乏しいため自給用には主としてモチ米の栽培をおこない、一日食する量を朝に蒸し、網篭風の容器、ガティップ.カオニャオに終日保存している)
もともと母系社会のタイにあっては、イサーンでも、同じ敷地内に親、複数夫婦、子ども達が共同で生活することもそれほど珍しいことではない。また、親族も近所に在住していることが多く*、子ども達は小さい頃から「いとこ」「親類」同士で遊び、決められた仕事をこなしながら成長して行く。
同じ学校に通い、隣に座る学友が親戚同士ということも格別珍しいことではない。また、村落全体が顔見知りという世界の中で子どもたちは成長している。
(* ローイエット在住のMorita氏によると、村では日本の田舎と同様に同じ姓の家が多く存在し、同姓であれば100%縁せき関係とか。日本と同じですね。越後の田舎では混乱を避ける為、「屋号(ミドルネームのようなもの)」が別にありますがイサーンではどうでしょうか?)
屋敷地内に建てられた伝統的家屋は高床式住居で、一階部分(タイトウン)は広い縁台が置かれ、あるいは土間となっている。縁台には、人が集まりおしゃべりを楽しみ、老人の昼寝、収穫した野菜・果物の選別、機織り、農具などの物置などに使われるオープンスペースとなっている。敷地内には果樹(ココナッツ、バナナ、パパイヤなど)や樹木が植えられており、その果実や新芽は料理の材料ともなる。
また、小さな菜園なども作られている。こうした住居形態のもとで、村の子どもは大勢の家族や近隣者に取り囲まれ成長する。村の大人の誰もが自然に子育てに関与していると言ってよい。日本の子どもの場合のように、密室化した住居環境で母子のみの関係の中で成長するのとは大きな違いがある。ひと昔前の日本農村社会には確かに存在し、今では失われてしまった子育て風景がここには存在する。
また、学校と村との密接な関係も子ども達の成長にとって重要な要因となる。タイ農村の学校は仏教寺院と共に村落を統合する社会機関の役割を維持してきた。学校行事が村の行事となり、逆に村の伝統行事が学校で行われる。教員が村内に居住するケースも多く、教員と村民の日常的親密さが確保されている。このような状況は、教師が村長につぐ権威をもって村落の種々の面で相談役となる環境を作り出しており、教師達によるイサーン以外の社会状況が子ども達の親にも説明される。この点、戦前の日本の農村社会とも類似しているように感じられる。いずれにしても、教師達が子ども達にとってより広いタイ社会の最初の窓口であり、憧れと尊敬の対象となるこことに不思議はない。
バンコクなどの都会部での子ども達の日常をかいま見た日本人には、近年タイ社会が大きく変動し、現在の日本と同じ問題(消費性向、暴走族、テレビ文化、ビデオゲーム世代、そして受験地獄など)を彷彿とさせる情景を指摘する人が多い。しかし、イサーンの村々の精神世界は意外と伝統文化を固持しており、それらの根底には「仏教」の潮流が脈々と流れている。イサーンの子ども達が伝統的に受け続けている仏教的な「しつけ」や「教育」について以下に紹介してみる。
「学校」での仏教*教育
タイでは小学校の低学年から仏教の時間が必修となり、仏法の基本が具体的で分かりやすい例を使って教えられている。例えば「ブン(功徳)」と「バーブ(罪悪)」が説明され、人生に幸福をもたらす四箇条**が教えられる。さらに人生を破壊へと導く四箇条***がいかに悲劇的な結果をもたらすかが説かれる。
(*;日本の「大乗」とちがい「上座部」仏教である)
(**;1、他者への慈愛;2、他者が厄難を受けない状況を願う;3、他者の幸運を共に喜ぶ;4、平静な心の状態を保つ)
(***:1、淫乱な生活;2、酒・麻薬におぼれる;3、賭事をする;4、悪友と交わる)
高学年になると、「幸福」とは何か、「苦」とは何かなど抽象度の高い内容へと進む。また、仏教儀礼、仏教史、哲学と内容も高度化する。このような仏教教育が子ども達の日常に影響しないわけはなく、子ども達へのこれらに関する問いかけにも、定型的で模範的な答えが返ってくることが多い。子どもたちが身につける仏教的価値は、ある意味できわめて保守的なもので、子どもたちに「良い人はどの様な人か」と質問すると、「仏教の五戎*を守る人」「寺にいつも参拝する人」「たくさんタンブン(積徳の行為)をする人」などと仏教的脈絡からの回答が多い。
(*;1、生き物を殺さない;2、盗みをしない;3、姦淫をしない;4、嘘、荒々しい言葉、中傷、噂話をしない;5、飲酒をしない)
「生活」の中の仏教
子ども達の朝は仏教と共に始まる。村民は毎朝、餅米を蒸し副食品を整え、それを竹かご容器に入れ寺院まで届ける。村によっては村内を托鉢に回る僧侶を道ばたで待ち、食事を喜捨する。食事喜捨は「サイバーツ」と呼ばれ、寺院が村に誕生してから絶えることなく続けられてきた仏教の慣行である。民際研修の村滞在でも参加者はこの喜捨を経験することとなる。かつての日本においても形こそ違え、確かに存在した慣行である。仏教の祭礼にちなんだ大きな仏教行事も年間を通して十回程度はある。子どもは物心つくころから家族とともに食事の喜捨や寺院参拝に参加し、一連の仏教作法や仏教的価値観を自然に身体の中に刻み込ませていくという。
子ども達が登校すると朝礼での経文の詠唱がある。タイでは学校での「国旗掲揚」「国歌斉唱」そして「経文詠唱」が教育省令によって義務づけられているとのこと。この時使われる経文はごく平易一般的なもので、「仏陀」「仏法」「僧侶」の三宝への帰依を内容とするものが唱和される。なお、バンコクの方角(王室の在住する方向)へ向かい唱和されるケースも多いと聞く(2枚の写真はローイエット県のある村の小学校の朝礼風景。中学校については、続編で掲載予定。)
自宅には仏像を置く棚(ヒンプラ)があり、子ども達は経文を唱える親の元へは必ず加わる。また、夜寝る前に自分の枕*のところで礼拝することを親からしつけられており、就寝前「枕」に頭を押しつけるように三回(三宝への帰依)、ないし五回(三宝プラス父母と教師への恩に対して)の礼拝をする。
(*;研修の折りによくお土産に頂く、綿入りの四角い通称「イサーン枕(モーン)」。「枕」は頭(ポム)に宿る魂(クワン)を預けるため神聖な物であり、村滞在中も「枕投げ?」などで遊んだり、足を乗せるなどしてはいけません。また、何故あれほど大量の枕が訪れる寺院内に用意されているかが分かりますね。 なお、それらの枕はタイ仏教では出家が許されていない「女性」が村の男性が出家する際に、自身の願いを託して寺へ寄進したものだという。写真参照(YKさん談)ハサミを入れているのはYK氏)
子どもが獲得する仏教的価値の中で、特に重要なのは親子関係を律するブン(恩、福、善)とガタンユー(報恩)の概念とのこと。親は子どもへ「ブン」を与える存在であり、子どもはこの世に「生」を与えてくれ、慈しみ育ててくれた親へ報いること、つまり「ガタンユー」であることが僧の説話や仏教経文のなかで繰り返し強調される。奨学金ドナーであっても彼らにとっては「第二の父母」であり、同様な価値観をもって子ども達はドナーと接することを周囲の大人、教師によって期待されている。
子どもが親のために働き、将来親の面倒を見ること、子どもが収入が得られるようになった時、両親を経済的に援助することも重視されている。話は遡るが、10年ほど前に日本へ出稼ぎに来て売春を強要され、狭いアパートに軟禁されていたタイ人の女性が雇い主を殺害する事件があった。この時の直接的な動機も「逃げるとタイにいる親を殺す!」との脅しであったと言う。自分自身は辛い境遇に耐えられても、恩ある両親を不幸に陥れる人間を許すことが出来なかったとの供述だった。身につまされる悲しい話である。
こうした伝統的な仏教的価値観が、イサーンの親子関係の「親密さ」や「絆(きずな)」を作り出している。このように、奨学金ドナー(第二の親)への彼らの「心配り」の根底には以上紹介した仏教的価値観が存在することは間違いない(写真は学校での仏教の部屋:神奈川県ドナー、中溝氏提供)。
余話2:村々の子供は裸足の子が多い。ロンターオ(履き物)が買えない。購入しても直ぐに汚くなりボロボロになる(品質も悪い)。ゴムサンダルが普通とか。
参考資料
1. 「タイ(暮らしがわかるアジア読本)」小野澤正喜著、河出書房新社、1999.
2. 「タイ、インサイド・レポート」プラウイット・ロチャナプルック著、めこん、1999
3. 「切手に見るタイ」安藤浩著、文芸社、2000
4.「タイ人(カルチャーショック#03)」R. クーパー&N. クーパ著、河出書房新社、1997